On March 24th, I went to the hospital for a medical appointment and used the waiting time at the pharmacy to stroll around Shirahata-yama Park and Shinano Shirahata Shrine.

3月24日、診療の為病院へ、薬局での待ち時間があったので、白旗山公園と品濃白旗神社を散歩しました。
AIによる改善 3月24日、診療のため病院へ行き、薬局での待ち時間を利用して白旗山公園と品濃白旗神社を散策しました。

AI翻訳(どういう訳かマレー語)Pada 24 Mac, saya pergi ke hospital untuk mendapatkan rawatan, dan semasa menunggu di farmasi, saya mengambil kesempatan untuk berjalan-jalan di Taman Shirahata dan Kuil Shirahata Shinano.
品濃小学校前の桜が咲いていました。
薬局での待ち時間があったので、近くの白旗山公園に行きました。
山頂に続く長い階段を上ります。
山頂には狭い広場とベンチがあり、背景にはタワーマンションが見えます。
品濃白旗神社方面への階段を下ります。神社の駐車場に繋がっていました。

駐車場内の河津桜は、前回訪問時は蕾でしたが、今回は葉桜になっていました。
まだ花弁が少し残っていました。
工事期間は3月10日まででしたが、今回は3月末まで伸びていました。
階段の両側に手すりがあります。架設は無くなりましたがまた通行禁止です。
今回も遥拝所で熱心にお参りする人がいました。
白旗神社の鳥居横の石標柱
神社脇のお地蔵さんとお堂
白旗山と背後のPark Tower

I dropped in at “Shinano Shirahata Jinjya Shinto shrine” and “Nagaya-san Tofuku-ji Temple” in the ambulatory way back in the morning of February 25.

 2月25日の午前中、通院の帰り道に「品濃 白旛神社」と「永谷山東福寺」に立ち寄りました。
 「品濃 白旗神社」の所在地は、当法人のGH「カモミール品濃」と同じ品濃町にあり、「永谷山東福寺」は、先日訪問した「平戸白旗神社」の別当寺で、平戸町にあります。
 「品濃 白旗神社」はちょうど参道階段の葺き替え工事中で、2月17日~3月10日までは階段左下の遥拝所でのお参りになります。
 今回は、社頭の「ご由緒」の案内板、手水舎と遥拝所、鳥居と神額を撮影し、「カモミール品濃」の運営の安泰を祈願しで参りました。 また、境内の桜の蕾が膨らんでいました。
 「永谷山東福寺」の駐車場には国道1号線側から入ることができるようですが、ナビの案内は「子母美(しぼみ)の森霊園」の駐車場を案内したようで、帰りは住宅街の中で迷ってしまいました。突然、見慣れた「りーふ東戸塚」の近くの丘の上に出たので、梅の花を前景にした雄大な富士山を撮影することができました。I love JAPAN.
戸塚区品濃町518-7の「品濃白旗神社」の鳥居と社標柱、玉垣。参道階段は葺き替え工事中
「品濃 白旛神社」の神額と注連縄
参道階段の葺き替え工事のおしらせ、2月17日~3月10日まで
手水舎(水屋)
手水舎の左の「ご由緒」案内板
御由緒(社頭の案内板より)
 康元元年(1256)源義経公を御祭神と崇め創建、御社殿は天正三年、天保十一年に夫々改築された。白旗とは源平争乱の際、敵味方を区別するための籏の色、平家の赤旗に対する源氏の白旗、 源氏そのものを象徴する名である
 源氏の武将等が祀られる「白旗」の名の付く神社は、 全国神社本廰傘下八十余社あり、その内「義経公」を祀る神社は八社であるが由緒は不明である。
 天正十九年以来は當地の知行となった新見(しんみ)氏が明治初頭ま當神社の興隆に尽力した。大正十二年 関東大震災の際には、御社殿は倒壊したが、氏子には損害がなかったので、時の部落長が「宮柱うちくだけても倒れても氏子の怪我なきぞ尊き」と献詠し、村人たちは「鎮守さまが身代わりになってくださった」と感激して翌年再建に着工、九月二十八日に竣工しこの日に因んで例祭日となる。
 その後八十余年、世の変遷を乗り越えた御社殿も平成19年の不審火により焼失。然しながら氏子への被害もなく、再び御神威に助けられ、平成24年10月氏子の尽力により御社殿を再建した。

【白旗神社と新見氏】
 徳川家康との厚い信頼関係を築いていた旗本新見氏は、天正十八(1590)年に新見正勝が相州 品濃・山田を領地として家康より賜った後、明治維新に至るまで、変わることなく領地を治めた。正勝は家督を譲ったのち、品濃に隠居、没後(1642年)白旗神社脇へ埋葬されたと伝えられています。
 幕末にはいり、ペリー来航の頃には新見正興が領主となっていました。安政五(1858)年欧米5ヶ国との間に修好通商条約が締結され、翌年、正興は外国奉行に任命された。
 そして万延元年(1860)、正興は日本初の遣米使節団の正使(主席代表)として、小栗豊後守忠順らと共に 条約批准の為の渡米を果たした。正興は外国奉行と神奈川奉行を兼帯。幕府の要人を務めながら、白旗神社の興隆にも尽力したと伝えられている。
【御祭神】
 源義経公(みなもとのよしつねのみこと)他2柱、天照皇大御神、豊受姫命
【御祭事】
 初 詣   1月随時
 祈年祭   四月十一日
 夏越し大祓 六月最終日曜日
 例大祭	  九月二十八日
 七五三詣  十一月随時
 新嘗祭	  十一月二十八日
 年越し大祓 十二月三十日
慰霊塔と参道階段左下の遥拝所、長い時間、熱心にお祈りする人がいました。
桜の蕾が膨らんでいる。今週の暖かさで一気に開花しそうだ。

子母美の森霊園の駐車場から入ってすぐにあるお堂
子母美の森霊園の入口
臨済宗円覚寺派永谷山東福寺の本堂
国道1号線側からの階段と左右の標石柱
白壁の塀と小道、平戸白幡神社に続く鎌倉古道と思われる。
 「寶所在近」「貴方の寶は近くにありますよ」ということ。寺紋は源氏の「笹りんどう」です。
本堂を横からみたところ、左手が国道1号線、奥が平戸白旗神社、鬼瓦にも笹りんどうの寺紋。

りーふ東戸塚近くの丘の上からみた雄大な富士山
コイト電工(小糸工業)の元横浜工場の跡地では7棟のマンション建設工事が進んでいる。
梅の花を前景にした白い富士山(霊峰富岳)I love JAPAN !

I visited at “Hirado Shirahata Jinjya” at 302, Hirado-cho, Totsuka-ku, after a meeting held in a hall in the town block in the morning on February 21.

2月21日午前中に町内会館で開催れた会合の後、戸塚区平戸町302にある「平戸白旗神社」に立ち寄りました。
 平戸白旗神社は、GHを除く各事業の事業所及び法人本部事務所の所在地である平戸地区の鎮守様です。
 昨年5月17日の「りぼん東戸塚」の新築移転工事の地鎮祭には、ここの神主さんに奉祀して頂いています。
 今回は、移転新築の無事完了のお礼と法人の各事業の運営の無事を祈願して参りました。
 
 社頭の「平戸白旗神社沿革の碑文」(※一部改変)によると、
「御祭神 源頼朝命(みなもと よりとも のみこと)、例祭日 9月18日(宵宮祭 9月17日)
 氏子区域 旧平戸町全域 即ち 現平戸町及び平戸1丁目-5丁目 」
※もとは鎌倉郡永谷村永谷山東福寺鎮守白旗大明神ですが、江戸時代には平戸村の鎮守となっており、東福寺の住所表記は平戸町299です。
※東戸塚駅近くの「品濃白旗神社」の御祭神は源義経命と天照皇大御神・豊受姫命です。白旗(白幡)神社は全国で88社、うち源義経公を祀るのは8社とのことです。
「由 緒 当神社は、源頼朝公薨じて103年後の乾元元年(紀元2922年西暦1302年)9月9日鎌倉鶴岡の相承院の前住元智が勧請したもので明和6年(紀元2429年西暦1769年)10月14日には相承院を通じ、みたましろとして[右大将家(頼朝公)の御髪髭三筋」を送られた。(東福寺所蔵文書) 東福寺の神事奉仕は創祀以来凡そ570年に及んだ。東福寺の鎮守として発足した当神社は、江戸時代には平戸村の鎮守となり(新編相模風土記)明治6年(紀元2533年西暦1873年)11月10日には村社、昭和14年9月20日には幣帛供進村社となったが大東亜戦争後の昭和28年9月15日に県知事の認証を受け新発足して宗教法人となり、神徳いよいよ明らかである。因みに現社殿は新築され昭和7年4月10日竣工したものである。昭和51年屋根葺替起工、4月2日完成 平成2年11月   御大典奉祝記念 として玉垣築造  氏子総代会 」

また、[神社ホームページの説明文]によると、
[源頼朝公は鎌倉幕府の創立者。久安三年(1147)源義朝の三男として出生し、平治の乱の後に捕らえられて伊豆にながされた。1180年平氏追討の兵を挙げたが、石橋山の戦いに敗れ海路安房に逃れた。
 その後、房総、武蔵の武士を束ねて相模に入り、鎌倉に本拠を定めた。朝廷から正式に東国の支配権の許しを得、平氏を壇ノ浦に全滅させ、反幕府勢力を一掃して鎌倉幕府を成立させた。
 正治元年(1199)正月十三日、病のため逝去。御年五十三歳。
 平成十二年(1999) 源頼朝公没後八〇〇年の記念行事が鎌倉を中心に全国で行われた。
 当神社に隣接する東福寺に寺宝として一通の古文書が収納されています。その所蔵文書は明和六年(1769)の送り状で次のように書かれています。
 鎌倉郡永谷村永谷山東福寺鎮守白旗大明神は
 乾元元年(1302)九月九日
 鶴岡相承院先住元智「智円の前名」の時の勘請なり
 今般右大将家御鬢髪三筋相送候
 此度東福禅寺慶厳の希望に因る者也
 明和六年(1769)十月十四日
 鶴岡相承院 密信 花押
 東福禅寺 慶岩和尚
 そして、いまひとつ二重の桐箱があり、なかに縦7センチ、横2センチの金襴の袋が収められており、表書きには「頼朝公遺髪三筋」と記されています。
 白旗大明神「白旗神社」は東福寺と永谷村の鎮守として智円がこの地に勧請(神仏の分霊を請じ迎え祭ること)したのは、鎌倉時代の末期、頼朝公が逝去されてより約百年後のことでした。
 相承院は、鶴岡八幡宮寺の本尊につかえて天下の安穏を祈り、社役をつとめる二五坊のなかでも有力な寺院で、応永三十三年(1427)には、頼朝公の持仏堂で、のち頼朝公の遺髪を安置する法華堂を管理し、祈祷の役に任じました。
 白旗神社を勧請した智円(1285〜1366)は相承院七世として三十四年間奉供しており、慶巌和尚の懇請によって二十四世密信が頼朝公の御遺髪を白旗大明神の御神体として送ることができたのは、法華堂の管理をまかされていたことによるものと考えられます。
 「新編相模風土記稿」には「遺髪一屯、頼朝公逝去の日、蓬髪して持仏堂に納めしと云う。白毛少しく交じりてあり」と記されています。]

神社前の案内板と掲示板
神社入り口の玉垣と階段・鳥居
横浜市名木・古木指定のケヤキ、樹齢3百余年。犬の顔に似ているので安産祈願のパワースポットとか?
急な階段なので遥拝所が設けられている。左は石碑
平戸白旗神社の沿革を記した石碑
狛犬と比較的急な階段
階段途中の灯篭
階段を登りきる手前
正面から見た拝殿
階段を上がってすぐ左にある手水舎(水屋)
幕末の激動期の嘉永7年(1854)に寄進された水屋
拝殿の後方に本殿が見える。
拝殿前から右方向の東福寺、弘明寺に続く鎌倉古道
源氏の家紋である笹りんどうの彫刻のある賽銭箱
白旗神社の神額
注連縄と鈴
崇敬回会員の掲示板
拝殿左側の境内社
拝殿前から左方向の鎌倉古道、「にじいろ」の前の階段下につながっています。
道祖神「右ぐみやうじ左かまくら」
平戸立体交差点付近のヤマダ電機建設工事
紅梅が咲いていました。
コイト電工㈱の元横浜工場跡地の国道一号線側に進出するヤオコーの工事が始まりました。

Worship (New Year’s visit to a Shinto shrine) made it in Hie-jinja Shrine at 216, Maedacho, Totsuka-ku on January 2,2025.

2025年1月2日に戸塚区前田町216にある日枝神社に参拝(初詣)しました。
境内の案内板によると、
御祭神 大山咋神(おおやまくひのかみ) 祭神の神系 須佐之男神・・大年神・・大国御魂神、御年神、大山咋神・・別雷神 大山咋神またの名は山末之大主神、この神は近淡海国の日枝山に坐す。また葛野の松尾に坐す鳴鏑になりませる神なりとあるように近江国(今の滋賀県)の日枝山比叡山に鎮まりましたのが最初で、大年神の御子孫で、別にその御名を山末之大主神とたたえ申上げます。御神徳 大山咋神の「咋」は「主」という意味で、大山の主であると共に広く地主神として崇められ、山、水を司り大地を支配し万物成長、発展、万般の生成化育を守護し給う御徳は広大無辺であります(古事記による)。日枝神社は相模国鎌倉郡前山田村、現在の横浜市戸塚区前田町216~1に約850年程前から村の守神様として祭られ、この地に住む人々の健康と家内安全、子孫繁栄をお守りする神様です。日枝神社は、この近くで一番古くから祭られているとの言い伝られております。例祭は4月9日、新嘗祭は12月8日におこなわれております。

 裏山にはかつては味の素の生物研究所がありましたが、宅地開発によりマンションになりました。また、東海道線他の線路を挟んだ平地部にはコイト電工㈱の元横浜工場がありましたが、現在は関電不動産他JVによるマンション建設が行われており、国道1号線側敷地にはヤオコーが進出することになっています、
 境内の階段横には手水鉢と横浜市指定の名木古木のケヤキが数本そびえており、古社の面影があります。
 拝殿は赤い屋根(元は日枝社か?)ですが、本殿は銅板葺きの流れ造りで、後から寄進されたものの様です。
境内社には御諏訪様と弁天様が一緒に祀られています。参道の途中には鳥居と道祖神あり、門前の道路は平戸白旗神社に繋がる鎌倉道であったと思われます。
初詣の幟旗、鳥居と注連縄
階段を上ったところに標柱、拝殿正面、背後にマンションが見える。
景だの案内板
階段横の手水鉢とケヤキの大木
赤い屋根の拝殿。左に境内社
拝殿の後ろに銅板葺きの本殿、寄進者記名板
境内社の御諏訪様と弁天様
コイト電工のもと横浜工場跡地、関電不他JVによるマンション建設とヤオコー進出

In Indian summer (warm autumn day), a preview of RIBBON Higashi-Totsuka was held.

12月6日、小春日和の中、りぼん東戸塚の内覧会が開催されました。
建物正面
内覧会の案内板
玄関内側、受付け
職員事務室
車いす対応トイレとオストメイト(福街条例による)
洗濯機置き場とシャワールーム
和室
階段横のロッカールーム
2階の作業室
給食用台所
相談室(テーブルとイスは保護者会からの寄付)
会議室(テーブルとイスは中古品を購入)
2階トイレ
休憩室?
ロフトへのアルミはしご
階段横の納戸
2階から階段踊り場を見下ろす
2階のエレベータホール
2階の窓から環状2号線東戸塚駅方面の眺め
天窓(排煙口)の開閉を説明中

Completion inspection by the client in a cold gentle rain.

R6.11.20(水)10:00~ 冷たい小雨の中、施主による完成検査が行われました。
建物正面、駐車場と玄関スロープ




玄関と事務事務室受付カウンター(左側)
バリアフリーのトイレ、オストメイト付き(福街条例による)
階段とエレベータ設備(バリアフリー)
2階の作業室と洗面台(車いす対応)、吹き抜け天井と排煙口
給食用の台所(流し)と非常用出口
2階の窓から環状2号線(新横浜方面)を望む、街路樹の剪定作業中、左は側道の環2平戸のバス停

Frame construction, Finishing carpentry work, Joinery work.

今週の工事予定は、7/29~31(月~水)躯体工事、8/1~3(木~土)造作工事となっています。
7月30日の16:40頃 建築現場訪問、2Fの壁面が塞がれましたが、外観はそれほど変化していませんでした。
8/1(木)10:00~ 建築現場訪問、建設会社の垂れ幕が掛けられている。
まずALSOKの防犯カメラ・ブルーライト・カードリーダ・センサ・スピ-カ・本体の取付位置の説明を受ける。
その後、コンセント位置、照明取り付け位置の確認を行う。
気温33℃で蒸し熱く、ヘルメットの中や腋の下が汗でぬれる。
8/9(金) 16:oo頃現訪問 外見上の変化なし、ワインレッドの外装材(屋根)が搬入されていました。
9/3(火)18:00頃 現場訪問 外見は変わらず 造作工事が続いています。

Frame construction.

今週の予定は、7/22~27(月~土)まで躯体工事です。
7/23 16:40頃、建築現場を訪問しました。
風景が一変し、あっという間に2階まで躯体が出来ていました。
7/24(水)9:00頃、建築現場を通りかかったので、逆光を避けた遠景を撮影しました。