5月7日、理事会の前に「りずむ東戸塚」に立ち寄り、その後で旧東街道の「品濃一里塚」から「品濃坂上」までを散策しました。







(Wikipediaより) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%81%E6%BF%83%E7%94%BA 品濃町(しなのちょう)は、神奈川県横浜市戸塚区の町名。丁番を持たない単独町名である。住居表示未実施 地理 横浜市戸塚区の北部に位置し、町域は南北に長く広がる。北東は保土ケ谷区、北西は旭区に接する。 面積は1.9km²[2]。JR横須賀線東戸塚駅の東口は、駅が開設された1980年頃より急速に発展し、超高層マンションや、西武百貨店とイオンをキーテナントとした大型商業施設「オーロラシティ」などが立ち並ぶ。 町北部には、保土ケ谷区にまたがり横浜カントリークラブが広がる。東海道線と横須賀線に挟まれた一角には乳牛を飼育する「肥田牧場」があり、アイスクリームの直売を行っている。また品濃町北部の東海道線の線路には、日本最古の現役鉄道トンネルである、清水谷戸トンネルがある。 歴史 沿革 かつての鎌倉郡品濃村で、1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、上柏尾・下柏尾・前山田・後山田・平戸・舞岡の各村と合併、鎌倉郡川上村大字品濃となる。1939年(昭和14年)4月1日に横浜市に編入され、戸塚区品濃町となった。 シナノ(品濃)という地名は、山麓の緩やかな傾斜地を意味する[9]。※出典は『横浜の町名』1996年12月、横浜市市民局総務部住居表示課発行 平戸との境は旧東海道で、品濃一里塚が残されている。保土ケ谷区との区境は、かつての相模国と武蔵国の国境であった。





福壽観音堂(横浜市戸塚区品濃町) 4travel.jp 5いいね! 2014/04/15 - 2014/04/15367位(同エリア1780件中) https://4travel.jp/travelogue/10877451 JR東戸塚駅から環状2号線に架かる福寿歩道橋の旧東海道がある横浜市戸塚区品濃町外れの山側に福壽観音堂が建っている。建立した願主は福原政二郎氏である。福原政二郎氏は東戸塚の新駅誘致を行い土地造成を担当した新一開発の社長である。昭和38年(1963年)以来、その開発の旗振りをやってきた人であり、信心深く、観音信仰に篤かったので福壽観音堂を建立したのだという。観音堂参道に建つ「福壽観音縁起」には建立年の正確な記載はないが、Webに因ると昭和57年(1982年)10月に建立されたとされる。 JR横須賀線東戸塚駅が開業したのは昭和55年(1980年)10月であり、その後、ニューシティ東戸塚の宅地(マンション)開発が始まった。ニューシティ東戸塚に最初のマンションが造られたのは昭和58年(1983年)であったというから、その前年に福壽観音堂が建立されたことになる。昭和57年(1982年)10月頃までに、マンション区画の整地や環状2号線のこの区間の造成は完了していたのであろう。そして、福壽観音に見守られながら、次々とマンションが建っていったのであろう。 (表紙写真は福壽観音堂) ※記事のみ引用、画像はオリジナルページを参照ください。
野口智子 オフィシャル・ホームページ https://noguchi-tomoko.com/post-8518/ 福寿観音 2022年3月21日ちょっとしたこと 横浜市東戸塚を訪ねました。駅を降りると、大規模店と高層マンションがそびえています。圧倒されながらマンションの間を歩いていくと、意外に緑が豊か。開発と同時に自然に気遣ってきたのでしょう。驚いたのは旧東海道が狭い道幅ながら残り、道路を見下ろす絶壁に小さな観音堂も。お地蔵さんがコートを着せられて、マンション群を見守っていました。 駅を降りると、東に向けて(この地図では下)ショッピングモールと自由通路が一体となったオーロラシティというエリアが伸びています。その終わりに左右に走るのが横浜環状2号線。それを陸橋で渡ったところに小さく福寿観音の文字が見えます。ただこの時は、そこまで目が行きませんでした。 駅前。下から見ると、道路を渡らずに、通路を通って買い物し、マンションに行ける構造になっているのがよくわかります。 駅前からマンションが並ぶのですが、ゆるい坂を上っていくと並木が枝をひろげていたり、手入れの行き届いた緑があったり。 マンションの足元の道をめぐり歩き、いつしか陸橋も渡ると、「旧東海道」の看板が現れました。少し先には「品濃一里塚」という名の一里塚が当時の形を残しているそうです。 その旧東海道と、環状2号線に挟まれるようにした高台に「福寿観音堂」がありました。古いものではありません。1982年のものです。巨石の碑文を読むと、驚きました。ここ東戸塚は、大正の始め頃から駅がほしいと地元で熱望されていたそうです。関東大震災、戦争などがあり、延び延びになっていた。それがいよいよ昭和40年代から駅を作ろうと機運が高まり、請願を続け、昭和55年1980年に東戸塚駅は完成したのだそうです。請願駅のため、駅舎や駅前広場の整備は地元負担。その費用の多く、25億円を出したという福原政二郎という方について記されていました。 福原氏は観音菩薩進行が厚く、駅と駅前の開発の大願が無事に行えたことを喜び、ここに観音堂を造ったのだそうです。駅の西側にもあるとのこと。なるほど、観音堂から東戸塚の駅までの町全体がよく見えます。 初めてこの地にうかがったご挨拶に、お賽銭をいれました。ふと見ると本堂のガラスに、高層マンションが映りこんでいます。このお堂の奥から観音様がマンション群を守ってくれているのでしょうか。 お地蔵さんもありました。赤子が足元に抱き着いている地蔵像。花がきちんと活けられて、防寒マントが着せられていました。お堂の周りは綺麗に掃除されています。こうしたマンション群の中の観音堂となると、とかく荒れていて、たばこの吸い殻だらけになっているものです。なんだかほっとしました。 無機的にみえる高層マンション。でもそれができる以前にまずは駅がほしいという人々の願いがあり、開発があり、投資した人が居て、緑を植えた人が居て、いまここを愛し、終の棲家にしようという人たちが、各建物で、各階で、日々の暮らしを紡いでいる。 そんな血の通った人間らしさを感じとれて、うれしかったのでした。 ※記事のみ引用、画像はオリジナルページを参照ください。

















