有鹿神社奥宮&史跡勝坂遺跡公園

 2025年11月22日、いつもの藤沢市葛原からの帰路、相模原市南区磯部1780の有鹿(あるか)神社奥宮と史跡勝坂(かっさか)遺跡公園を訪問しました。
 これらは相模川東岸の、相模線の相武台下と下溝の間の、鳩川源流の河成段丘崖下(有鹿谷)と標高65mの丘陵の上(有鹿台)にあります。
 (有鹿神社本宮、奥宮その他については2025年5月10日の記事「相模の国最古の式内社有鹿神社」を参照)
有鹿神社奥宮と御祭神
 奥宮は、本宮から北に約6キロメートル離れた神奈川県相模原市南区磯部の「有鹿谷」に位置し、有鹿比女命を祀っています。奥宮の鎮座地には水源があり、そこには小祠と鳥居が設けられています。また、東側の丘陵(有鹿台)には勝坂遺跡があり、歴史的な価値も高い場所です。
古代の起源と創建
「有鹿」という名称は古代語で「水」を意味するとされ、鳩川沿いに広がる地域が「有鹿郷」と呼ばれるようになりました。神社のご神体は相模原市南区磯部の勝坂にある泉湧く洞窟で、奥宮が鎮座するこの地域周辺は、国の史跡である勝坂遺跡として指定されています。古代からの祭祀遺跡として、銅鏡や子持勾玉などの考古遺物が出土しており、神社の長い歴史を物語っています。(出典:https://kanagawa.mytabi.net/)
51.勝坂有鹿谷祭祀遺跡出土の祭祀遺物
この祭祀遺物は、昭和30(1955)年頃に勝坂遺跡下段部の湧水が流れる有鹿谷付近で、土地所有者による水田改良の際に発見されました。
遺物は、銅鏡7点、子持勾玉1点、管玉1点、石製玉類112点、石製祭具(鏡形、勾玉形、剣形等)104点、石製有孔円板65点、土師器6点、玉石8点です。
遺物の年代は5世紀前半から7世紀前半と考えられ、ひとつの祭祀遺跡から発見された祭祀遺物としては、種類・量ともに極めて豊富なものです。
市内には同時期の遺跡は少なく、勝坂有鹿谷が市内唯一の祭祀遺跡であることから、この祭祀遺物は旧市域周辺の古墳時代における祭祀の様相及び変遷を示す重要な資料です。
遺物発見地のそばには現在でも有鹿神社の小祠が祀られ、小祠付近から湧き出る豊富な湧水が鳩川に注いでいます。この湧水は、遠く離れた海老名の水田を潤す水源としても崇拝されており、海老名の有鹿神社関係者による神事「水引祭り(水もらい神事)」が現在も行われています。
これらの祭祀遺物は、市立博物館で展示公開されています。
https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/kankou/bunka/1022295/bunkazai/list/1010142/1010194.html
勝坂遺跡公園の南入口の少し手前の左側に有鹿神社参道の入口があります。
入口から30m位、緩い下り坂で転落防止柵があります。
入口から100m位、照葉樹林の中を通ります
入口から150m位、谷の方にすこし下ると鳥居と石祠の横に出ます。
奥宮(おくのみや):北方約6キロメートルの神奈川県相模原市磯部勝坂の有鹿谷に有鹿神社奥宮は鎮座している。有鹿谷は国指定の勝坂遺跡公園内(4.29ヘクタール)の西側、河成段丘崖下にあり、周辺の照葉樹林は相模原市の天然記念物に指定されている。石造りの鳥居と猪鹿蝶が彫刻された明治19年(1886年)建立の石祠台座、昭和40年(1965年)建立の石祠があり、そこから北へ小川(有鹿の泉)を辿ると段丘崖から湧水が湧き出す有鹿窟があります。有鹿神社宮司の作った小型木製鳥居の建てられた湧水地は、かつて内径一尺(30センチメートル)程の穴があり、水引祭で御神体を奉安したというが、関東大震災で崩れてしまったと伝わっている。昭和以降の水引祭では湧水の水を汲むのみとなっている。
(出典:有鹿事典 https://sites.google.com/view/aruka-traveling-dictionary/Aruka_Shrine)
小川の反対側から石造り神明鳥居を望む
鳥居の高さは、屈まずに潜れる程度、麻の注連縄と有鹿神社の神額かありました。
石祠と周りの石垣
鳩川の源流、この奥に水源地があり、水引祭が行われる。
水引祭について
水引祭(みずひきまつり)は、4月8日に本宮より奥宮傍の「有鹿窟」へ霊石を運び、6月14日に還御する「有鹿さまの水もらい」とも呼ばれる神事です。かつては鳩川の水の利用権が海老名周辺の村々に優先されており、この祭りは地域の水資源を巡る重要な行事として位置付けられていました。
(出典:https://kanagawa.mytabi.net/aruka-shrine.php)
水引祭
神事「水引祭」は「有鹿様の水貰い」とも呼ばれる「有鹿明神続縁起」「座間古説」に見える少なくとも室町時代末からの水神信仰、農業祭祀を伝える特殊神事で、かつては河原口、上郷から磯部勝坂へ神輿が渡御した。明治時代に一時中断したが、奥宮の石祠が昭和40年に再建されると、その機会に現在の形となり復活した。神輿は小さなものになり、自動車での渡御となったが、4月8日の遷座祭では本宮から奥宮へ御神霊をお送りし、有鹿の泉から湧き出す水を汲み、それを本宮へ持ち帰り神前に供える。6月14日の還御祭では奥宮へ御神霊をお迎えにあがり、人形で厄を落として、湧水(鳩川)へ流す神事を行う。
(出典:有鹿事典 https://sites.google.com/view/aruka-traveling-dictionary/Aruka_Shrine)
ホトケドジョウは、本州、四国東部に分布し、湧き水の流れるゆるやかな細流に生息する淡水魚です。かつては市内の細流などで普通に見られる魚でしたが、環境の変化などにより生息地が減少し、今では国や県の選定する「絶滅のおそれのある種」となっています。
市内では数か所で生息が確認されていますが、勝坂の生息地は貴重な谷戸の景観が残されています。
貴重な自然環境を守るため、水路や湿地を荒らさないよう気をつけましょう。
(出典:相模原市HP 25.勝坂のホトケドジョウ https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/kankou/bunka/1022295/bunkazai/list/1010204/1010230.html)
有鹿神社奥宮の前は有鹿谷(あるかやと)の湿地になっている。
 勝坂遺跡は、相模川東岸の河岸段丘上に位置する縄文時代中期(約5000年前)の大集落跡で、国指定史跡。出土した立体的な装飾の文様や顔面把手の土器は、「勝坂式土器」として縄文時代中期のめやすとされている。竪穴住居跡のほか、多数の打製や磨製石斧も発見され、起伏に富んだ地形や湧水などの豊かな自然環境により、縄文人が継続的に定住したと考えられている。現在は、土葺きと笹葺きの竪穴住居2棟を復元した遺跡公園として整備され、縄文集落の雰囲気を味わえる。管理棟では、出土品やパネルの展示も行っている。(Yahoo!マップ)
南入口にある史跡勝坂(かっさか)遺跡公園の案内マップ
案内マップの裏側は勝坂遺跡A地区と旧中村家住宅の案内板になっている。
再現された2棟の竪穴住宅
土葺きの竪穴住宅は立ち入り禁止
竪穴住居(3号住居)の説明文
竪穴住居〈3号住居) 縄文時代中期後葉(約4700年前) 復元住居 屋根:土葺き 柱材:クリ 床:ローム土
 竪穴住居はその名のとおり、半地下式の住居です。竪穴の廻りには掘り出された土が詰めれ、屋根の垂木を打ち込んだり、外からの雨水の流入を防ぐ周堤があったと考えられています。3号住居の場合、竪穴の掘削で出された土の量は、10tダンプで約4台にもなります。
 また、焼失した竪穴住居の調査辞令や、中~北緯度の狩猟採集民による民族誌事例では、土葺きの竪穴住居が認められ、周堤以外に土を屋根に葺いて利用したことも考えられます。
 土葺住宅は密閉された屋内空間をつくる特徴から、非常に保温性に優れた住居形態と言われています。3号住居には石囲いの炉があり、家を暖めていたことでしょう。一方で、雨漏りや湿気のため、湿潤な時期に住むには適さず、寒いじきだけの「冬の家」とも考えられています。(現地の説明文より転記)
茅葺き竪穴住居
竪穴住居〈1号住居)の説明文
竪穴住居〈1号住居)
 縄文時代中期後葉(役4700年前) 復元住居 屋根:笹葺き 柱材:クリ 床:ローム土
 1号住居は埋甕(うめかめ)と炉の位置関係から、入り口が東に向きます。屋根を支える柱は6本と考えられ、その配置は、炉と共に奥側に寄っています。また、炉のつくり替えや、柱穴、周溝が重なって複数あることから、住居の建替えが行われていたことが判ります。
 1号住居は他の2件の住居と重複しています。構築の順序は2号→1号→3号のの順で、いずれも古い住宅が埋まった後に作られています。勝坂遺跡D区の南集落には50軒もの住居が発見されています。竪穴住居「跡」の数からは、大規模に見える集落ですが、集落の長きにわたる継続期間の中で、住居の構築・建替・廃絶を繰り返した結果としての集落「跡」であるのが現実です。(現地の案内板より転載)
竪穴住居の入口
茅葺き竪穴住居内部の様子
竪穴住居跡
もう一つの竪穴住居跡
公園のすぐそばまで住宅が迫っている。
公園中央部の案内図
管理棟近くの案内地図は色が薄くなって見えずらかったが、画像処理するとかなり見えるようになった。

 有鹿神社奥宮は公園の西側、参道入り口から150mほどの所にあり、有鹿谷の脇に鎮座している。再現された竪穴住居と住居跡は公園の南入口すぐの所にある。トイレと展示資料館は北側入口付近にあり、今回はトイレしか利用しなかったので、次回は見学したい。なお、駐車場は南側入り口から100m位の所にあり、トイレの近くには2台しか停められない。また東側近くには勝坂遺跡A区と旧中村家住宅があるので併せて訪問したい。

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