4月12日、ビオトープ上矢部訪問の後、いつものように藤沢市葛原と女坂に行きました。帰り道、葛原1832の「皇子大神」に立ち寄りました。



相州藤沢 白旗神社 ホーム » ブログ » 藤沢の歴史 » 領家町初午祭領家町初午祭当地の領家町の地名は、大庭御厨の領家職(りょうけしき・伊勢神宮に納める年貢を取り仕切る)の方々が居住されていたことから名付けられといわれており、現在は8世帯で構成されています。




























公益財団法人 藤澤市まちづくり協会葛原のおはなし葛原のおはなし 葛原の名は、この地に桓武天皇第三皇子葛原親王(かつらはらしんのう)の御所があり「高座郡葛原村(たかくらごおりくずはらむら)」となったという説、また葛原親王の子孫である垂木主膳正従四位下長田武蔵守平忠望が、平安時代この地に住み、葛原親王を奉祀し、崇めていたことから「葛原」と呼ばれるようになったという説、さらに、葛が生い茂る原だったためという説がある。 葛原親王を奉祀している皇子大神(おおじおおかみ=例祭日9月18日)参道入口の滝不動は、3月28日が例祭日で、昭和20年代初めまでの縁日では草競馬が行われていた。皇子大神の境内にはその昔、松や杉の大木があり、片瀬の漁師が陸の目印にしていた。また相模川河口にかかる馬入橋からも、この大木を見ることができたという。

